続moss

「コケ」という言葉は一般にはいろいろな植物群のものを含めて、小さくて、あまり目立たないものを総称している。(井上浩『フィールド図鑑 コケ』東海大学出版会、1986)

──じゃあ長くやってる間に、自分の音楽観とかが根本的に変化したり揺るがされた時ってあった?
音的な興味っていうのはいっぱいあるけど、音楽観っていうのは無いなあ。だから俺が音楽観って考える時はその人観っていうか、ねえ?人柄っていうか。やっぱりそういうので音楽考えてるから、あんま変わんないっていうか。変えようもないっていうかね。(佐藤伸治
───『フィッシュマンズ全書』小野島大編、小学館、2006、pp.249-250(初出:『ロッキング・オン・ジャパン』1997年8月号)

ふと思い立ち、今日は1日中『フィッシュマンズ全書』を読み返していた。素人くさい見方かもしれないけど、なにかの作品に触れるとき、僕はその奥にあるべき作者のキャラクターを見て取り、それを作品の大きな判断材料にしているようだ。フィッシュマンズ佐藤伸治)の音楽は、僕がそうした見方をする作品の最たるもので、その音楽からイメージしていた彼の性格は、フィッシュマンズが僕のなかで決定的な位置を占めるようになってからずいぶんしてこの本が刊行されたとき、だいぶ裏が取れたように思った。ところで坂本一成の建築を考えた場合も、これは僕が素人である音楽よりもっと慎重にならなければいけないだろうけど、結局その作品の奥に感じられる作者の性格に共感することが、なにより作品に惹かれる大きな理由となっているような気がしてならない。現代美術に通じるような彼の高度な建築論も、別の性格の持ち主にとってはそれをどれだけ正確に理解できたとしても、というかその形式を正確にトレースしてはむしろ、そこから生まれる作品は(すくなくとも僕にとって)形骸にしかならないだろう。作品における内的必然性と言ったら会話の余地がないだろうか、しかし建築において作り手の内的必然性が感じられることは他のジャンルよりも稀だろうし、坂本自身その創作において借り物ではない厳密な内的必然性を求めているように思える。それにしても佐藤伸治の作品に惹かれ、坂本一成の作品に惹かれるということは、とりあえず僕を介して両者になんらかの共通点があると考えられないだろうか。音楽と建築、それぞれの作品の現れにおいて安易に類似を見出すことはやめておくけれど、下に挙げた佐藤伸治の言葉には、創作の方法論とまではいかなくても、性格からもうすこし進んだところで両者に共通する感覚を含んでいるように思える。そしてこのような感覚は、このふたり以外でもきっと僕が惹かれる作品の作り手には多かれ少なかれ共通するものにちがいない。(佐藤伸治の感覚を色濃く表していると思われる言葉でも、今のところ坂本一成の感覚との類似を見出せなさそうなものはここに挙げていない。)

以下すべて前掲『フィッシュマンズ全書』から佐藤伸治の発言(括弧内は初出媒体の刊行年と本書での掲載頁。初出の媒体名等は省略)
●今の僕達の音楽にあるイージーではない心地好さっていうのだけは失いたくないんだ(1991、p.36)
●詞が先の方がいいですね。曲が先にあるとしばられちゃうような気がするから。
──そうすると、詞の方が比重が大きい?
それは曲なんですよ。でも、詞の方だと思われがちかもなあ(1991、p.44)
●最近思うんだけど、歌詞とかね、もっと普通の一般市民で書いたほうがいいなっていう。ロックな歌詞ってあるでしょ。それを一般の人が見たとき、いいのかおまえそんなことやってて、っていうやつね。音楽業界にどっぷりつかってるとそれにあわせようとしたりして、なんか恥ずかしいなというか(1992、p.46)
●奇を衒うとか、ヴォリュームでびっくりさせよう、とかいうことは小さいことだな、どうでもいいっていうか。ここにもっていくのが新しい、なんてそんなもんないっていうかね、そんなかんじ(1993、p.74)
●あの、僕らは半端なものを目指してるんです(笑)(1993、p.75)
●でもね、出したいことって、“力”なんですよ、これでも(笑)。僕が一番衝撃を受けた音楽ってボブ・マーリィなんですけど、それは力を感じたからなんだな。でも自分達はジャマイカでレゲエをやってる訳じゃないし、宗教的なとこや政治的なとこを変える力はないけど、普通の人の生活の仕方とかね、そういうのを変える力を持つ可能性があるバンドなんではないかと思っているんですよ、実は(1993、p.75)
●何やるんでもリアリティーですよね。ただね、よく言う“ぶっちゃけた話”ってあるでしょ。それも確かにリアリティーなんだろうけど、なんかジジイの戯言みたいで興味ないんです。そんなんじゃないリアリティーってのが、普通に存在してるはずですよね。そういうリアリティーを歌っていきたいですよ(1993、p.75)
●すごく分かりにくいような事を裏でやってたりするんですけど、分かりにくいから分かりやすくしようぜっていうんじゃなくて、その分かりにくい部分もはっきりと出していきたいんですよ(1994、p.81)
──でも、言葉で説明すればするほど、リアリティがなくなるということもありますよね。
詞だけが完成しちゃうのもよくないと思う。音も総動員しての結果を聴いてもらわないと(1994、p.81)
●それにそう簡単に“結”なんてあり得ないですからね。起承転結ってよく言うけど。インチキならいくらでも書けるかもしれないけど、それはイヤなんですよ(1994、p.85)
●これまでアルバムは、テーマを決めてやってたんですけれど、それがすごく、イヤで、イヤで。大それた感じがするじゃないですか(1994、p.106)
●こうすりゃドカンと売れるなっていうのはなんとなくわかるけど、それはあえてやらない(1994、p.115)
●僕が日ごろ気をつけているのは、何かワクにハマりかけたら、逃げろ逃げろって、細かく軌道修正すること(1995、p.123)
●ただ世間に出ているシングルって、音楽じゃない感じのものが多い気がしたんで(1995、p.140)
●(アルバム『空中キャンプ』のタイトルについて)地上ってすごい日常じゃない? 考えてたのは、空まではいかないんだけどちょっとだけ変わったところとか見たいところとか。オレの中では1m上空とかセコい範囲だったりするんだけど、そういう感じかな(1996、p.155)
●アレンジも今回すごく単純にやったんですよね。その中での手元の見え方とか、そういう部分に時間をかけてたから。簡単なフレーズをもっとリアルに聞かせるっていう感じだったですね(1996、p.156)
●詞があれば曲は自然に浮かんでくる。……というとカッコ良すぎだから……曲も浮かびやすい……浮かんでくることが多い……?(1996、p.160)
●このころは取材が死ぬほどイヤだったのを覚えてますね。(中略)質問の一言一言が流せなかったんですよ。笑ってギャグも言えなかった。一言一言真剣に考えちゃったんですよ。(中略)そしたら今度は横にいてメンバーの言うこと聞いてると、「そんなつまんないこと言うなよ」って思っちゃってさ(笑)(1996、p.165)
●フツーの歌をうたいたいんだよね。今、誰もがわりと歌を作るっていうと、(日常生活での)いいとこや悪いところをクローズアップしてそれだけうたってるじゃない?(1996、p.172)
●さっき、“ただやる”と言ったでしょ?そういう意味では取り返しのつかない行動はオレ、とりたくないかな、絶対に(1996、p.178)
●いや、カッコつけてはいるんですけどね(1996、p.178)
●人間としてはハッキリしないんだけど、ハッキリしないということを表現するということはハッキリしてるから(1996、p.188)
──クラブみたいなところには行きます?
嫌いですね(1996、p.200)
●でも、やってる側としては、わりと音響派って……あんまり好きじゃないんですよ。実は、もうちょい人間派っていうか。(中略)そうそう。お遊びっぽい感じ。あとから意味をつけた感じに聞こえちゃうんですよ。(中略)音のオリジナリティというよりは、たとえばオレたちが作った音楽を聞いた人が受ける感情というか、“感情のオリジナリティ”みたいなのは、まだあるかなって気がしてるんですよね。「音響が好きだから音響をだす」のと「こういう感情を表現したいからこういう音響を出す」っていうのでは、受ける側は全然違うんじゃないですか(1996、p.202)
──頭デッカチっぽい感じは、あまり好きじゃないということですか?
そうでしょうね。頭デッカチと肉体派(1996、p.203)
●一体感出ないんだよね。メロディ先書いて詞つけちゃうと(1996、p.210)
●音楽を〈曲〉として考えないっていうか。〈音〉っていう感じにしたかったんですね(1997、p.230)
●うん、でも俺、内なる世界っていう感じなんだけど、それが内の世界で歌ってなくて、もっと景色で歌いたいんだよね(1997、p.232)
●俺はいつも歌詞から先に書くんですけど、詞を書いたとき、詞の周りにはいろんな景色があるわけじゃないですか。書いてないけど。それが音楽になるんじゃないですかね(1997、p.243)
──ドラマ性を持ち込まないで、音の威力だけでコントラストをつけてるっていうさ。
ああーっ、うん、そうそう(1997、p.250)
●曲を作るのってさ、要は俺にとってはパッケージすることなのね、いろんなことを。で、今たとえば10分のことを曲にしてるんだとしたら、それをこうもうちょいビッグな感じにできたら、1年のことを1曲にしたような音楽みたいなのがあったらいいなぁって。それが音楽になった時に壮大な曲になるかはわかんないけどね。印象として。自分の考えてることとかやってきたこととか、そういうのがもっと…長くなるといいなっていうか。長かったり、高い…たとえばタテヨコ伸びると、違った領域に行けるのかなっていう(1998、p.266)
●音を出す方もそうだし、聴く方もそうだけど、“包み込む感じ”が欲しいのね。あとは、“すごく静かな気分”ていうのも欲しいんだ(1998、p.271)
●俺の場合、そういうことはなくて、止まってることがすごく楽しかったり、すごくホットだったりするのね。それをホットにし得ることができるのは、唯一音楽ぐらいかなって意識があるから音をガンガン出すっていうことがすごい向いてるなって思う(1998、pp.271-272)